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大徳寺・総見院

  豊臣秀吉が織田信長の葬儀パフォーマンスを行った大徳寺。その寺内・総見院が織田家の菩提寺です。
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 境内には織田家一門のお墓があります。横一列にならぶ七基の墓を愛の眼力で見極めてください。
(左→右)織田秀雄・信雄・信長・信忠・秀勝・信高・信好の墓です。

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大徳寺三玄院・真珠庵

 大徳寺三玄院は天正17年(1589)森忠政・石田三成・浅野幸長が、春屋宗園(しゅんおくそうえん)(大宝円鑑国師)を開祖とし、創建したものです。森家の菩提寺のひとつで、森忠政や”うめ(宝泉院)”の墓があります。森一族の位牌もまつられており、この三玄院における森蘭丸・坊丸・力丸の二十五年忌、森長可の二十七年忌、うめ(宝泉院)の下火(あこ)、森忠政の法要に関する記録なども残っています。
 忠政とうめのお墓は、上空からだと形状がわからないので自信をもってこれだと言えずに…すみません、判ったらまたお知らせします。


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 大徳寺内の真珠庵にも森可成以前の森家の位牌がまつられていると『森家先代実録』に記録があります。

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建勲神社

 豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うため天正寺建立を計画した船岡山。しかしそれは実行できず、明治に入ってから船岡山に建勲神社が造られました。織田信長や三十六功臣(森家としては、森蘭丸と森可成)をお祀りしています。
参道をストリートビューで見ることができます。

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 建勲神社の本殿(左側)と拝殿(右屋根)です。もっと、縮小すれば、境内敷地全体を見ることができます。
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明智光秀首塚

 明智光秀の首塚へ入る道しるべ「東梅宮 並 明智光秀墳」をストリートビューで見ることができます。自販機の手前の石碑がそうです。
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 ストリートビューでは首塚に入りこめないので上空から。オレンジ色の屋根の左隣の小さな灰色の屋根が「光秀公」と書かれた小祠の屋根です。手前に首塚と、それが光秀の首塚であることを示す石「長存寺殿明窓玄智大禅定門」と書いたものがありますが、塚までは見えづらいですね。でも、光秀はどうでもいいですか?

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明智藪と明智光秀胴塚

本能寺の変で明智光秀関連の史跡を2つ。

 明智光秀の終焉の地、小栗栖の明智藪周辺です。
しかし、現在は「竹藪」としての名残はわずかで、この写真に見える緑は一角を除いては竹藪じゃないようでした。

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 明智光秀胴塚をストリートビューで見ることができます。
左側の緑のまどいの下のブロックの囲みの中に、明智光秀胴塚があります。アップすれば何とか石碑が見えますが「明智光秀之塚」と書かれえています。光秀のことはどうでもいいですか?

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