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聖隣寺

 亀岡市内の聖隣寺にも信長の墓があります。この墓は子の秀勝が建立しました。でも、google mapでも、yahoo!地図でも信長の墓までを見分けるのはちょっと無理でした。早く、解析度があがってほしいですね。

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 ちょっと寂しいので、同じ亀岡市内の史跡を出しました。亀山城を発して中国攻めの援軍に向かっていた明智光秀が、心変わりをしてUターンした地点と伝わる付近です。もちろん馬首を返して目指した先はローソン。「本能寺」。

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今宮神社「織田稲荷社」

 今宮神社の中には末社が沢山あり、その中に織田信長公を祀る「織田稲荷社」があります。旧阿弥陀寺(西陣元伊佐町)にあった祠を昭和62年に今宮神社に遷したものです。織田稲荷社はこのこんもり可愛い杜の中(A)なので、航空写真では判りません。ただ、激しく小さい社でした。

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妙心寺

 妙心寺玉鳳堂です(地図の地名は「卍開山堂」となってますけど、それはもっと右の続きの建物かと…)。織田信長や乳母のお墓があります。
 
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肝心の信長の墓がどれだかわからないです…。捜索続行します。
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 境内には「明智風呂」という浴室もあります。明智光秀の菩提を追善するために建立されたものです。建物の中には、ご位牌がありました。

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建仁寺

 上空から眺めても綺麗な方丈。この辺[A]の木の茂みの中に、いきなり織田信長を追善供養する石塔があります。茂みのせいで見えないですかね…。信長の弟・有楽斎の手によるものです。
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 建仁寺は森家にも関係するのですが、また別の機会にご紹介します。

大雲院および大雲院跡地

 大雲院は天正15(1587)年、本能寺の変で亡くなった織田信長・信忠父子の菩提を弔うために正親町天皇の勅命で当初は御池御所(烏丸二条)に建立されました。大雲院というのは信忠の法名・大雲院殿三品羽林仙厳大居士にちなみます。
天正18(1590)年になって豊臣秀吉がこれを寺町四条へ移転させます。昭和48(1973)年には円山公園そばにさらに移転し、現在に至ります。現在の大雲院です。


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 私の記憶では、織田信長・信忠の墓はここ[A]の石だと思うんです…。

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 秀吉時代の大雲院跡地をストリートビューで見ることができます。拡大していただければ判りますが、中央の緑色の草の中に黒い石碑が乗っています。「龍池山大雲院跡」と書いてあります。


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