スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

少林寺[森家ルーツ編]

森義隆-……森可房-可秀-可行-可成

森蘭丸のひぃお祖父ちゃんの森可秀について

【森可秀】
小太郎 越後守 享録元年九月八日
近江国小谷にをいて戦死す。法名宗仙。同国矢嶋の小林寺に葬る。
(『寛政重修諸家譜』)


 森可秀が葬られたというこのお寺が「少林寺(『寛政重修諸家譜』では小林寺)」です。墓石もあるはずなのですが、管理人はまだ行ったこともなく、お寺へ問い合わせても墓石は判らないと言われてしまいました…自分の目で確認するまでは諦めませんけど。


スポンサーサイト

赤田城跡[森家ルーツの旅]

森義隆-……-森可房-可秀-可行-可成

 森蘭丸のひぃひぃお祖父さんの森可房について:

【森可房】
小太郎 越後守 
永正9年9月13日、近江国赤田城に夜討ちして戦死す。
(『寛政重修諸家譜』)

 この赤田城というのは、この赤田氏の居館・八町城のことかと思われます(推定)。現在は常禅寺の境内となっており、「八町城跡」と「赤田隼人正」の石碑があります。
航空写真ではこれがせいいっぱい…。


堅田の浦 [森家ルーツ編]

 源義朝:「八幡殿の御子の名残には、この人ばかりこそおはしつるに…」 (『平治物語』)

 森家は清和源氏を先祖に持ち、源八幡太郎義家の子・源義隆が相模の「毛利(森)」を知行して「森」姓を名乗ったことに森家が由来します。
 その森義隆は長生きして源氏の長老とあがめられますが、平治の乱に敗れ、平治元(1159)年、源義朝(義経の親父)と比叡山を越えて落ち延びている最中に首の骨を射られて討死してしまいます。義隆の首は義朝の手で堅田浦の地にて琵琶湖深くに沈められました。
 堅田を南下すれば、すぐ、森可成が討ち死にすることになる比叡・坂本の地です。



プロフィール

うきき

Author:うきき
FC2ブログへようこそ!

最新記事
検索フォーム
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。