松代城(海津城)
森長可と森忠政が入城した海津城です。
森忠政によって、「待城」と改められ、現在の「松代」の元となりました。
「Yahoo!地図」:整備中で青いビニルシートが見えます。
「google map」:すっかり整備されています。
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森忠政によって、「待城」と改められ、現在の「松代」の元となりました。


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阿弥陀寺
山下城跡
天正7(1579)年4月18日に信長は塩川伯耆守に銀子百枚を遣わし、その使者を森蘭丸が務めました(『信長公記』)。この時、蘭丸は塩川家の家臣より、おもてなしを受け、帷子をお土産にもらいました(『高代寺日記』)。
▲山下城:塩川氏の居城
卍善源寺:塩川氏の墓所あり
下財町:塩川氏の屋敷があったかもしれない…と町の噂
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▲山下城:塩川氏の居城
卍善源寺:塩川氏の墓所あり
下財町:塩川氏の屋敷があったかもしれない…と町の噂
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府中龍門寺城跡
天正3(1575)年、森長可は一向一揆軍が立て籠る「龍門寺城」へ攻め込みました。森軍がこの城に攻め込んだ折、長可の家来・河村勝助の配下の者が来国俊の名物「蜘蛛切」の太刀を見つけて、太刀は信長に献上されました。
近所には、織田信長軍が兵士の数を計るために造ったと言われる卍が辻の桝形があります。
近所には、織田信長軍が兵士の数を計るために造ったと言われる卍が辻の桝形があります。