斎藤家時代の森可成は長井隼人道利の元にあったと伝わっています。その長井隼人の関城が、この安桜山にあったそうです。
永録8(1565)年9月1日に織田信長(この頃は森可成もすでに信長の家臣)がこの関城を攻め、長井隼人は城を持ちこたえさせることが叶わず落去し、関城は陥落してしまうことになります。大きな地図で見る 画面に見える梅竜山や十六所山、一ツ山(地図をもう一段階拡大させると表示されます)にも長井軍の砦がありました。十六所山は後年、森長可にも砦として利用されていたようです。大きな地図で見る
スポンサーサイト