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堅田の浦 [森家ルーツ編]

 源義朝:「八幡殿の御子の名残には、この人ばかりこそおはしつるに…」 (『平治物語』)

 森家は清和源氏を先祖に持ち、源八幡太郎義家の子・源義隆が相模の「毛利(森)」を知行して「森」姓を名乗ったことに森家が由来します。
 その森義隆は長生きして源氏の長老とあがめられますが、平治の乱に敗れ、平治元(1159)年、源義朝(義経の親父)と比叡山を越えて落ち延びている最中に首の骨を射られて討死してしまいます。義隆の首は義朝の手で堅田浦の地にて琵琶湖深くに沈められました。
 堅田を南下すれば、すぐ、森可成が討ち死にすることになる比叡・坂本の地です。



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こんにちは。

こんにちはヽ(〃∇〃)ノ
先ほどまで見ていたTV番組(※日本4大姓の特集:田中・高橋・鈴木・佐藤さん)に刺激されて、検索でこちらに当たりました☆
(ちなみに森姓の人数は全国22位でした!)
森家ルーツの最新記事のようでしたので、こちらの記事にコメントを上げさせて頂きました○┓ペコリ

森姓メインのルーツサイトだなんて素晴らしすぎます~♪

この姓が源氏の流れだなんて今まで知りませんでした。
とても貴重なご情報をありがとうございます☆彡


我が家のルーツは房総半島(外房)の捕鯨の町ですが、
この田舎のご近所には、やはり同じ森姓が(親族外も)多いです♪

また一族の家紋は「違鷹羽」です。
圧倒的に農家が多いので、これがとても不思議だったのですが、
ルーツが武将だから矢羽柄だったというオチでしょうかA(^▽^;)

ちなみに親族の間では、もっぱら
「自分達(森家)のルーツは村上水軍だ!」とパイレーツを自称しているそうです(笑)
日本史に疎いのですが、和歌山の方で堰(防波堤?)を作って感謝されたのだとか何とか。。。?(これは史実からのパクリ?)

確かに(笑)外洋に面していますし、
和歌山と房総は醤油のつながり(海運)があったので、ありえなくは無いかもしれませんが…???

そういえば敗退した若き日の源頼朝さん?(の父??)が、一時期、湾を渡り房総(内房:東京湾側)に身を寄せましたね。
その時のお供の方々とも何か関係が出てくるのかな~A(^ー^;)

さて唯一、地域と武将とのつながりといえば、
田舎の菩提寺(※森のお墓がいっぱい。)の向かいの山には、かつて
徳川家康に嫁いだ女性の実家の砦があったそうです。
(肝心の家名を忘れてしまいました; 
 確か千葉氏でも里見氏でも北条氏でもなかったような…。
 お城は勝浦市の方…だったかな?)


あっ…ところで源氏といえば、、たしか大和朝廷では
臣下に下った皇子が源氏姓を与えられていましたよね。
源氏からさらに遡るとその辺りにも繋がるのでしょうか?(^▽^* )♪

長々とすみません。
ルーツは一度気になると、どこまでも知りたくなりますね♪
また時々更新を拝見させて頂きますね☆(*^ー゚)b

大変失礼いたしました!

こんにちは。
先日は本当に何も知らないまま、ただルーツに出会った嬉しさから投稿してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした!!!

こちらの投稿後にさっそく「清和源氏」から検索を始めまして(恥)、
ようやくこちらのサイト様で扱われていらっしゃる内容を少し掴めるようになりました。
手順が逆になりお恥ずかしい限りです…(〃ω〃)ゞ

そしてWikiの「森氏」にてその支流が、家康が復興させた房総にある久留里城(久留里藩)※の家老職に就任していることが分かりました。
 (※久留里(くるり)は房総半島の膨らんだ辺りにある山中の地名です。名水100選の湧水地です♪)

久留里城は、その昔、清和源氏系・新田氏の流れをくむ里見氏が城主で、
重臣には三浦氏系の正木氏がおり、この正木氏と北条氏の間に生まれた娘が、のちに家康の側室で御三家の母となった、於万の方だそうです。。。(だから久留里城を再興できたのでしょうか^^;)

鎌倉から近くて、それでいてはみ出した地理性からか揺るぎない統治者を持たなかった房総には、昔から多くの武家(清和源氏や北条氏)が訪れていたようです。
そんな背景から、この地にもパンピー森族が着々と増えていったのかもしれません♪(素人感想ですが;)

それから……どうでもいい事になりますが、前回、家紋を間違えていましたΣ(・ω・。)
矢羽ではなく「違い鷹羽」でした、我が家。
ところがこの紋を持つのは、清和源氏の中の村上源氏系・久我(こが)氏支流と、熊本の阿蘇氏(神社)(源頼朝軍)なのだそうです。

ですのでその紋を持つ我が家についてはもう……なんちゃって一族なのかもしれません(;ω;)
仮に繋がりがあっても、一体どの時代に来訪して(清和源氏から?)土地に根付いたのかが全く分かりませんね…A(^ー^;)

でも祖父一族(房総)のご近所さんに同じく森姓が多かったり、歴史上源氏の移入回数が多いことから、ほかの森家の方々はきっと何かしら、どこかの時代で源氏や初期・後期森氏と血縁を持っていらっしゃるのではないかしら……と思えてなりません。地元びいきで。

もしくは長い歴史の中では、「武家同士はみなご親戚」というオチかも!?☆A(^▽^;)

今回も長々と大変失礼をいたしました。
こちらサイト様の新着記事を楽しみにお待ちしておりますね☆彡

すみません(切腹)。

 ブランカ様:
大変にまごころのこもった有りがたいコメントをいただいていたのに、投稿通知メールが
なぜか届かずに今日の今日までコメントをいただいていることに気づいておりませんでした。
ああ、本当にすみません!!
自分自身もショックです。
今更ながら、コメントについてお返事書かせていただきたいのですが、私の非礼を赦して
まだここを覗いてくださっているでしょうか?
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