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新加納古戦場

 永禄6(1563)年4月、織田信長が斎藤義龍の稲葉山城を攻略せんと美濃に進軍しました。
 新加納へ出るために渡らねばならぬ木曽川(現・境川)。渡河に兵がためらっているのを、森可成が号令して一斉に川を渡らせ、周辺を放火しながら稲葉山城を目指して進軍しました(『森家先代実録』)。
 信長軍の先陣は坂井政尚と池田恒興。続くは森可成と柴田勝家、本陣が織田信長。
これを迎撃する斎藤軍は牧村半之助を先陣とする軍を追手として出す一方で、長井隼人を大将とする別動隊を堤の藪陰などに忍ばせました。
 で、 『森家先代実録』では、信長は坂井と池田に「敵は小勢だ、蹴散らせ!」と命じるも、森可成は「追手が小勢のくせに向こうから仕掛けてくるのはおかしい!」と進言して、柴田勝家とともに後詰に回って追撃のために進軍しました。案の状、坂井と池田軍は小勢を深追いして別動隊の伏兵に一斉に横から突かれて大混乱。そこへ(かっこよく)森可成と柴田勝家が追撃の突進!ということになっております。

…でも、実際には敵の絶妙な配置と動きに(これは竹中半兵衛の策と言われてるそうで)、織田各軍は寸断されて大混乱。織田信長は日根野兄弟に追い詰められてしまい、織田軍としては散々な敗軍。

 墨俣城にいた殿軍の木下藤吉郎はそれを知って機転を利かせて瑞竜寺山(稲葉山の尾根続きの山)に煙をあげたところ、出撃していた斎藤軍は稲葉山城に何かあったと仰天して引き揚げていきました。

 地図はこの合戦があった一帯ですが、特にこの場所には古戦場という石碑などはないようです。ただ、その合戦の時に燃やされた少林寺(A)などがあります。



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